突然の発病
『2010年6月、アップダウンの激しい往復40kmのサイクリングに挑戦した。祝杯ビールの後、トイレで真っ赤な血尿にびっくりした。慌てて受けた検査の結果、尿管がんの疑いが強いと診断された。尿管がんは動きが早いので、たとえ開けてみて砂であったとしても早めの手術とがんであれば抗がん剤治療を勧められた。妻の7回忌を済ませた直後の発病。三度の食事にすら大変な独居老人にとって、がんと戦えるのか、疑問と不安がせめぎ合っていた。その時の自分にはがんと戦う自信はなかった。妻なしでの闘病は到底考えられなかった。目の前に相談する人がいないという孤独感から、しばらくは茫然自失、何も手につかなかった。がんになったと騒ごうにも一緒に騒いでくれる妻がいなかった。妻のなき後、なんとか6年間を生き抜いた自分が愛おしく、70年の人生よく頑張った、悔いはない、そんな抑うつ的な気持ちが繰り返し押し寄せていた。』 時空出版闘病記より
結局のところ、71歳の自分は無治療を選択しました。医師仲間、先輩から、君はどうかしていると叱責されましたが、自分の選択の間違っていることを認めつつ、投げやりのまま時間が経ち、耐えがたい腰痛と尿管閉塞による水腎症、そしてリンパ節転移が始まりました。
痛みで覚醒
早くお参りして妻のところに行きたいと安直に考えていましたが、水腎症による鈍痛は耐えがたく、足で踏んでもらうほどでした。痛みを何とかしたく相談したところ、尿がたまって膨れあがった腎臓と病巣の尿管を取るしかないと言われました。あれほど治療は拒んでいたのに痛みには無条件降伏の低落でした。早々に母校の病院へ駆けつけ手術を受けました。腸骨リンパ節の郭清術まではしなくて結構ですと文書でお願いしたが、8時間に近い手術の後の説明では右腎臓、尿管、尿管孔の一部、腸骨リンパ節郭清と教科書通りの手術でした。右の脇腹に2本のドレーンと太い膀胱カテーテルが入っていました。主治医からは翌日から歩くよう指示があり、10日後退院の計画でした。この3年近く、投げやりに生き自殺願望もあった老人は痛みで一挙に覚醒したと実感しました。
2013年5月、大学病院で右腎臓、右尿管、一部膀胱の摘出手術、腸骨リンパ節転移郭清術を受けました。
2013年5月 摘出した腫瘍の病理検査は『上皮がん・腺がん・肉腫様』の入り交じった組織像でした。
勇気ある遁走
2013年6月、術後の抗がん剤治療のため大学病院へ入院。GCP標準療法の1回目で重度の腎障害、血清ナトリウム111まで下がり意識朦朧下に点滴が続くばかり。明日からICUに転室の声を聞き、スイカに塩をぶっかけて食べ一晩で回復しました。このままでは命がもたないと判断、退院させていただきますと教授に申し出、フラフラ状態で病院から遁走しました。幸い、鞆の宮阪實君の紹介で呉の光畑直喜医師に出会い、彼の協力を得て自己免疫活性療法に超低用量抗がん剤、放射線を組み合わせた治療に取り組み、あと4~6ヶ月と言われた余命告知を打ち破り10年経ちました。振り返ればあの勇気ある遁走が起死回生のきっかけになったと確信しています。
私が実践した免疫療法1 ≪断塩療法≫
断塩はゲルソン療法の基本です。
ブドウ糖が細胞膜のゲートを開けて中に入るためにはナトリウムの助けが不可欠。
このメカニズムをNa+-ブドウ糖共輸送co-transportと言います。ナトリウムがないとゲートが開かない。断塩効果によりブドウ糖の取り込みが十分できなくなったがん細胞は弱り、駆け付けたキラーT細胞に殺傷されます。
闘病中の私
私の断塩中のナトリウム値
抗癌剤腎障害によるナトリウム再吸収障害と断塩が重なり、一段と低ナトリウムに陥ることがあります。胃部不快感に襲われたときは塩梅を2~3個で軽快します。時になんとも言えない脱力と恐怖を感じる胸内苦悶に襲われたときは市販の1g給食塩を2袋内服すると嘘のように軽快します。断塩中、低ナトリウム発作の恐ろしさを何度も経験しました。
私が実践した免疫療法2 ≪野菜ジュース療法≫
ファイトケミカルは野菜や果物が害虫から身を守るための色や香り、辛味、苦味などに含まれる機能性成分のことです。ファイトケミカルという未知なる成分に理屈抜きの夢と期待を持ちました。ニンジンジュース、野菜ジュースを毎日2ℓ飲みました。懸念される農薬汚染に対しては、ホタテ貝の粉を使って洗浄を行いました。奇跡の回復を助けたのは断塩と人参・野菜ジュースによる免疫力活性化が主役と信じています。仕上げは低用量抗がん剤と放射線治療だと思っています。
人参、野菜に豊富な抗酸化物質ファイトケミカルに含まれるポリフェノール、ビタミン、 LPS(リポポリサッカライド、リポ多糖類)には自然免疫のマクロファージを活性化する作用のあることが分かっています。このLPS のセンサーとしての TLR4 受容体の発見は2011 年ノーベル生理学医学賞を受賞しました。
私が実践した免疫療法3 ≪ゲルソン食事療法≫
余命告知から3ヶ月経った11月24日ゲルソン食を始めました。
好んで食べた物は未精製の全粒粉の食材として主食はオートミールです。免疫を高めるベータグルカンを多く含む花びらだけ、しめじ、えのき、しいたけをオリーブ油で炒め副食としました。タンパク質を補充するため豆腐を多く使いました。なかでも豆腐を使った野菜チャンプルは男料理に向いていました。無水鍋でトマト60%、セロリ、ネギ、ニンニク20%、ジャガイモ20%を2時間かけて煮込むゲルソンスープは3~4日分を作り置きでき便利でした。この動物性タンパク質ゼロのメニューと断塩と野菜ジュースで6ヶ月頑張りました。
食べなかった物は特に四つ足動物の牛肉、豚肉、牛乳、バター、チーズにはがん細胞を元気にするインスリン様成長因子IGF-1が多く含まれています。これらの食材は全て酸性化食品のため食べませんでした。独り者に便利なハム、チーズは、がん細胞周辺を酸性に傾ける悪い食材です。最初の6ヶ月間は修行中の禅僧のごとく食事管理に徹底しました。6ヶ月を過ぎていただいたししゃも1匹の美味は忘れることができません。
妥協しない完全ゲルソン食は正直6ヶ月が限界でした。6ヶ月経って、ゲルソンも認める週1回の普通食は安らぎの日、一番の楽しみとなりました。私なりに工夫した簡易ゲルソンは寛解をもらった後も休むことなく、10年近く続けています。今もニンジンジュース2回、野菜ジュース2回、日に1000㏄飲んでいます。
私が実践した免疫療法4 ≪12時間空腹療法≫
がん毒素により多くの人は食欲低下、筋肉減少、脂肪減少、結果として痩せてきます。この状態が悪液質です。予防薬は成長ホルモンです。空腹時に胃から分泌されるグレリンは下垂体に働きかけ成長ホルモンの分泌を刺激します。視床下部に働きかけ、摂食中枢に作用し、 食欲亢進、体重増加に貢献します。さらに消化管機能調節作用によりミトコンドリアを元気にし、腸の免疫を活性化します。結果としてT細胞は元気になり、がんとの戦いを再開します。私は毎日夕食6時30分から翌日朝食6時30分までの12時間空腹は効果ありと感じています。
私が実践した免疫療法5 ≪睡眠療法≫
睡眠は成長ホルモンの分泌を促し、体の疲れを癒し免疫を活性化させます。
太陽が沈む8時から脳内時計遺伝子は睡眠モードに入ります。これと同期して交感神経から副交感神経モードに切り替わります。副交感神経支配下にはいると免疫を代表するリンパ球数は上昇に転じ、リンパ球数は10時から3時まで最高値を保ちます。この時間帯に免疫の修復と活性化が行われています。私は9時就寝に努めました。不眠の人は睡眠薬を飲んででも寝るべきです。
私が実践した免疫療法6 有酸素運動 ≪筋肉≫
筋肉は生命維持装置です。無重力での宇宙飛行士の悩みは筋肉の衰えです。筋肉は熱を産生し体温を維持します。免疫の活性化に貢献するインターロイキン6、BDNFによる抗うつ笑顔ホルモン、神経保護、炎症抑制など30種類以上のメッセージ物質が確認されています。重力の恩恵を受けて大地を歩くウォーキングは筋肉を元気にし、がんと戦う身体を作ります。2014年1月闘病のしんどさはピーク、ふらつきながら寒風の中を歩きました。次第に歩く歩数を増やし、真夏は日傘をさして歩きました。朝夕に分けて一日5000歩を維持しました。ベッドに寝転んで両手に1kgのダンベルを持ち、毎日100~300回万歳ストレッチに励みました。
放射線治療と低用量抗がん剤組み合わせ治療が終わってからは体調も楽になり、病気を忘れる時間を増やすため、学生時代漕いでいたボートを復活、今もウインテックシングルスカルを楽しんでいます。
私が実践した免疫療法7 有酸素運動 ≪ 骨 ≫
筋肉と同様に骨からも多数のメッセージ物質(ホルモン)が確認されています。インスリン、成長ホルモン分泌促進、臓器を活性化するスーパーホルモンの他、老化と免疫力の低下を抑制するメッセージ物質オステオポンチンに世界の注目が集まるなか、2006年には国際骨免疫学会が始まりました。着地時の重力効果の得られるウォーキングは骨の健康維持に大切です。
”骨を鍛えれば長寿となる” はベンテペターゼン博士の言葉です。がんと戦うには健康な骨を維持するため、ウオーキングだけでなく、ぴょんぴょん体操、踵落とし体操など日々努力しました。
仲間のがん友の質問には病気を忘れる時間を増やし、異性への関心を失わない。断塩減塩すれば気持ちを下げる降圧剤は飲まなくて大丈夫だし、細胞の生命維持に必要なコレステロールを下げる薬とミネラルの吸収を妨げる制酸薬は百害あって一利なしと答えたものです。
私が実践した免疫療法8 ≪アルカリ療法≫
がんはブドウ糖を分解し高エネルギー(ATP)を産生する方法として、酸素のいらない解糖系を巧みに使い、エネルギーATPを産生します。この時、乳酸と水素イオンHにより細胞環境を酸性化します。この酸性化を是正する方法としてアルカリ療法が生まれました。アルカリ療法で有名なのは重曹とクエン酸です。重曹による中和力は強力ですが、重曹20g中のナトリウムは食塩換算で14gとなり、重曹は私の推奨する断塩療法に不向きでした。私は秋谷七郎博士の推奨する純粋クエン酸10~15gをペットボトル500mlに薄め飲んでいました。クエン酸は単なるアルカリ療法だけでなく、がん細胞のエネルギー活動である解糖系を抑える作用も報告されています。
私が実践した免疫療法9 ≪メラトニン療法≫
ノーベル賞を受賞した低酸素誘導因子HIF-1はミトコンドリアの機能を低下させます。
メラトニンはHIF-1の活性化を阻害するという報告があります。ミトコンドリアが元気になれば水素エンジンが動き、T細胞は元気になります。私は闘病中メラトニン20mg/日を夕刻に内服しました。今は厚生労働省の薬監証明をもらい安全なメラトニンを輸入し、患者さんにも処方しています。低酸素誘導因子HIF-1の仕組みを解明したセメンザ、ケーリン、ラトクリフ この3人は、2019年ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
私が実践した免疫療法10 ≪放射線治療と組み合わせた時のみ抗がん剤は有効≫
私が超低用量抗がん剤療法と放射線治療の組み合わせを決意したのは、近藤誠の「患者よ、がんと闘うな」に菊池寛賞が与えられた頃です。骨転移巣に対しては粒子線照射治療を、後腹膜リンパ節転移にはリニアック照射治療を行いました。この間、元気でいてほしいリンパ球のために抗がん剤は大学の5分の1から18分の1の少量でした。
私が受けた低用量抗がん剤治療中2年間のリンパ球は1500前後を推移
私は骨転移に対する陽粒子線治療の際は5FUを内服しながら照射しました。腸骨リンパ節転移群への腹部放射線照射の際は、ゲムシタビン、パクリタキセル、白金製剤の3種の抗がん剤を点滴投与受けていました。どちらも効果があり骨転移病巣は消失、腸骨リンパ節病巣消失、放射線治療のアブスコパル効果のおかげで放射線を照射していない肺転移巣まで消失しました。
私が助かったのは抗がん剤を主役にしなかったからです。あくまでも放射線治療に際しがん細胞を弱らせて放射線の感受性を高める目的で抗がん剤低用量に固執しました。処方された内服抗がん剤を指示通りの量を飲まなかったり、抗がん剤の点滴時期を延期したり、主治医には失礼なことを多々しましたが、助かった今は水に流していただきありがとうございます。
私が実践した免疫療法11 ≪抗がん剤は脇役 がん休眠療法≫
がん細胞を殺傷する主役は免疫細胞であって抗がん剤ではありません。抗がん剤で弱ったがん細胞を免疫細胞が殺傷します。抗がん剤はあくまで脇役です。ここを間違って抗がん剤を主役にすると抗がん剤毒死の危険性があります。しかし世の中には抗がん剤が癌を殺傷するとの神話が信じられ蔓延しています。画像上腫瘍の影が縮小または消失すると、病院は抗がん剤の効果を強調します。製薬メーカーの巨額マネーが研究を支援し、メディアを動員し、抗がん剤標準療法は有効な治療という社会常識を作り上げたのです。画像上消失して見えた病巣腫瘍は免疫細胞の機能不全に陥った体の中で再び勢いを盛り返してきます。ここでさらに抗がん剤を追加投与すると、その毒性により命を失うことになります。免疫細胞を温存しがん細胞を弱らせる抗がん剤の量は標準療法よりはるかに少ない低用量です。
メトロノーム療法(がん休眠療法)
メトロノーム療法は、がんを完全に死滅させることを目的とした高用量、最大耐用量を用いる従来の標準化学療法に対し、5分の1から20分の1の低用量を免疫細胞であるリンパ球数を1000個以上に保ちながら一定間隔のゆっくりリズムで定期的に投与することで、がんの増殖を抑えることを目的としたものです。メトロノーム療法によりがんの新生血管の抑制や転移を防ぎがんを休眠させる治療です。この治療は私のようにすでに転移の始まったステージ4の進行がんにはがんと共存し、より長く生きる目的に合致しています。
私が実践した免疫療法12 ≪結核菌BCG療法と丸山ワクチン≫
2年間に及んだ低用量抗がん剤を用いたがん休眠療法は終わり、PET検査で異常集積がないことを確認しても安堵していませんでした。なぜなら、PET検査では膀胱は盲点であり、尿管がんの2人に1人は膀胱がんを併発することが統計的にわかっているからです。尿細胞診検査、エコー検査、膀胱MRI検査では膀胱がんはないと言われていましたが、ステージ4までいって膀胱に癌がないはずはないとの思いは強く、膀胱内視鏡検査を希望して受けました。案の定、ないはずの右尿管孔周辺に異常を認め、膀胱がんと診断されました。ホッとする間もなく、2年にわたる膀胱がんの治療が始まりました。治療は内視鏡による外科的切除術と膀胱内に弱毒化した結核菌東京株を注入するBCG膀胱注入療法です。原著Lamm法では、弱毒化したBCGの膀注と皮下注の併用を勧めています。免疫の強力な賦活作用を持つ結核菌は膀胱がんに対する有効率60~80%です。この数値は世界最強の抗がん剤と言っても過言ではありません。膵臓がん、肺がんなどにも生の結核菌膀注療法と丸山ワクチン併用を試してみる価値はあると思います。
皮膚科医だった丸山千里博士は皮膚結核の治療のために結核ワクチンの研究をしていました。結核療養所、ハンセン病療養所には癌患者はほとんどいないことに気付き、結核菌やライ菌に癌を抑える成分があると考え丸山ワクチンが開発されました。結核菌を煎じて無害としたものが丸山ワクチンです。
九州大学と琉球大学は結核菌が免疫応答を活性化することを発見しました。マクロファージを活性化させ、次いでT細胞を活性化させがんに効果があると、2016年11月米国科学誌Immunity電子版に公開しています。
2年間の治療中、内視鏡手術4回、結核菌BCG膀胱注入療法27回を受け、Lamm法を達成しました。
ステージ4の転移癌に対し独学での免疫活性化療法を模索し、これは良いと直感した方法を実践し、回復にこぎ着けました。今日まで元気で仕事ができるのは、私を支えてくださった多くの人たちのおかげと、感謝の気持ちでいっぱいです。福山に来て52年、大田記念病院OBナースをはじめ共に医師会活動や勉強会に参加、協力をいただいた諸先生方には励ましの言葉やいろいろなアドバイスをいただきありがとうございました。
主治医からのメッセージ
「右腎尿管一部膀胱摘出から化療入院、その後の肺、骨、リンパ節転移が治癒したのは、泌尿器科学会でも極めて稀な症例報告と思います。小生が考える治療内容に大田先生自身の猛勉強による治療方針に正直戸惑いの連続でした。結局その緊密な折衷案でここまで来られたのですからたいしたものだと思います。光畑直喜」